防災無線放送は洗脳=極悪強要放送

民主日本の存続には 【公務員の人権6分限法】が必要!以下は2009年からSNSと官公所への送付記録(順不同)         

Re: 小学生下校見回り放送      2010/05/21 (Fri) 14:47:32

 

[ニフティニュースより]引用:

>[児童の声で「帰宅時間になりました。ぼくたちが無事に帰れるよう見守ってください」などと流している。]が:

*「ぼくたちが無事に帰れるよう見守ってくださいなどと」1人の「児童」が、自発的に防災無線の使用を許可されるわけがなく;

「児童」は放送内容を教育委員会に強要されて言っており;

教育委員会が[児童憲章]の精神に反して児童を虐待しているので;

 

>[「あす放送をやめないとガキをぶっ殺すぞ」と]

教育委員会による’児童虐待’の「放送を」やめさせるために、もし、「やめないと」「ガキをぶっ殺すぞ」と言論による強力な抗議をしたのであり;

 

>[A容疑者は「大人に言われるならまだしも、子どもに言われたくない」と供述。]と記されているが;

*A容疑者は非常に繊細な情感の持ち主なので、大人が形成している予防過剰浪費公務員社会が「児童」を卑劣に悪用して、「児童」から’かわいい声’で、この様なことを言われるのは;

「児童」が教育委員会や大人社会からの悲痛な救助を求めている声と感じたので、「子どもに言われたくない」と言ったのであり;

 

A容疑者は、悪辣で非情非道な人非人の日本の教育者や警察官よりも、遥かに人間的な、世界に普遍的な情感あふれる人間なのです。

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Re: とらわれの聴衆    2010/05/23 (Sun) 23:33:45

 

最高裁昭和63年12月20日第3小法廷判決 商業宣伝放送差止等請求事件 (判例時報1302号94頁):http://www.kcat.zaq.ne.jp/iranet-hirakata/text-881220torawarenochoushuu.htm

 

裁判官伊藤正己氏の補足意見

一の文中:

私見によれば、他者から自己の欲しない刺激によって心の静穏を害されない利益は、人格的利益として現代社会において重要なものであり、これを包括的な人権としての幸福追求権(憲法一三条)に含まれると解することもできないものではないけれども、これを精神的自由権の一つとして憲法上優越的地位を有するものとすることは適当ではないと考える。それは、社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず、個人の人格にかかわる被侵害利益としての重要性を勘案しつつも、侵害行為の態様との相関関係において違法な侵害であるかどうかを判断しなければならず、プライバシーの利益の側からみるときには、対立する利益(そこには経済的自由権も当然含まれる。)との較量にたって、その侵害を受忍しなければならないこともありうるからである。]

 

*人間の”人間たる所以である言語精神”を侵害する宣伝放送を、単に「刺激」と定義しているので;

「心の静穏を害されない利益は、」「これを精神的自由権の一つとして憲法上優越的地位を有するものとすることは適当ではないと考える。」と言い;

「社会に存在する他の利益との調整が図られなければならず」、「その侵害を受忍しなければならないこともありうる」と、以後の受忍限度論を不当に容認展開しているのです。

 

以上の様に、現在の日本の最高最良の最高裁判事でも物事の本質を解明判断する能力が無く、本質を詐術的にすり替えて”ウジ虫文化”を温存しているのです。

 

〔そして、たかが騒音で、人が騒音発生者を殺したり禁止脅迫をせざるを得なくなるのは;

騒音発生者が意図的に発する音で、被害者の人間の人間たる所以である”聴覚と直結している言語脳神経”を破壊したり、”理性的言語精神を阻害”するからであり;

騒音発生者が意図的に、動物本能回帰の殺人者や脅迫者を作り出しているのです。〕

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