防災無線放送は洗脳=極悪強要放送

民主日本の存続には 【公務員の人権6分限法】が必要!以下は2009年からSNSと官公所への送付記録(順不同)         

<*武力行使正当化考*>      2010/05/07 (Fri) 12:39:26

 

わたくしが茨城町の公務員を激しく非難して、機関銃を役場で乱射したいと想う思いを理解するには、名曲を聴いたり、思索をしたり、本を精読している時に、毎日、毎日、2度、365日休みなく、大暴音の時報チャイムを放送塔から毎回、30秒間、強制的に聞かされる環境に身を置けば解ると思います。

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*人民を愚弄する公務員*      2010/05/08 (Sat) 15:09:01

 

公務員に、人権侵害行為である強制的に聴かせる防災放送塔の放送を中止するように要求すると;

 

放送継続の「ご理解、ご協力をお願いします」と言われるが;

 

この言は、憲法19条[思想及び良心の自由]に違反する事に「理解」、「協力」を「お願いします」と言う事であるので;

 

この発言行為自体が、憲法99条[公務員の憲法尊重擁護義務]違反行為なのです。

 

だから世界の民主主義国では、こんな人民を小バカにした公務員全体主義的な言は、絶対に言わないのです。

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Re: * KILLING ME SOFTLY ? *       2010/05/09 (Sun) 23:04:31

 

最近、日本の伝統や歴史に、現在と未来の日本の文化文明の指針を求める動向がありますが;

この動向自体が、日本の衰亡を加速させているのであり;

 

私が以前からここで、”日本の伝統文化を廃棄せよ”と書いているのは、日本が伝統的にも、歴史的にも、現在も、世界でも有名な人権無視国であるからであり;

 

人間の人権を尊重しない人間社会や文化文明は、必ず滅亡させなければならないからであり;

 

人類の最高の叡智が築いた欧米文化文明国の基礎は、人権尊重と、合理的思考と、法治制度であるので;

 

欧米の最先端の現代哲学や社会学の中にしか、地球村の現在と未来の指針は無いのであり;

 

「思想」と言われるような既成概念・観念は、時代の変化と共にその質実を発展させなければならないので;

 

”くそ壷”文化への郷愁を忘れられない日本の”ウジ虫”は、地球村の人格権を持てないのです。

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<伝統日本の”くそ壺文化"代弁者>     2010/05/11 (Tue) 12:19:33

 

>[1 法治制度でがんじがらめで身動きが取れない。]

*法が治めない社会は現代人間社会ではない。

*「がんじがらめ」な規制は、地域や現実的合理性に則して改廃すれば良い。

 

>[2 結果、基本の基本、戒律が守られない]

*「戒律」とは坊主独断の”法律”の意味であり、現代民主主義社会の合理的法律生成の基礎がなく;

*「戒律」を守るのは日本の’葬式乞食独善坊主’だけであり;

 

>[3 結果、経済危機と成り、歴史的に見ると]

*1と2の「結果」で「経済危機と成り」とは無知蒙昧な誇大妄想である。

 

>[4 ルネッサンス以来500年続いた西洋が終焉]

*「西洋が終焉」とは地球規模の経済発展により、西洋以外の地域も発展して、西洋文化に地方文化が混合した意味であり、世界の中心的文化文明は、現在も西洋の文化文明である。

 

>[6 力の有る人が、力の無い人(うじ虫)に力を贈与しなければ成らない(二宮尊徳)]

>[7 人生は贈与に始まり、贈与に終わる]

*「力の有る人」がどうして存在するのか?; 人間は裸で生まれる!

*「贈与」とは’記念的贈り物’や、’持つ者’が’持たざる者’にする慈善行為であり;

*「力の無い人」や「持たざる者」の「人生(人間の生)」は「始まり」も「終わ」りも無いことになる、つまり存在を認められないことである。

〔これが封建時代の思想背景に基づく偽善者の言である〕

 

以上の様に、藤原直哉氏の論は伝統日本の”くそ壺文化”の典型的な無知蒙昧な代弁である。

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